公正な社会に不可欠な「一次的善」とは？ ロールズがリストアップしたもの
公正な社会を考えるヒント： ロールズの「一次的善」とは？
倫理や政治経済の授業で、「公正な社会」について考えるとき、私たちはしばしば「みんなにとって何が良いことか？」という問いにぶつかります。人によって価値観や人生の目標はさまざまですから、すべての人にとって「良い」とされるものを特定するのは難しい問題です。
ジョン・ロールズは『正義論』の中で、公正な社会を考える際に、個々人の多様な「良い」生き方（善）に立ち入るのではなく、「理性的な人が、どんな人生計画を持っていても、それ pursuing ために必要とするもの」に焦点を当てるべきだと考えました。これが「一次的善（Primary Goods）」と呼ばれる概念です。
一次的善は、公正な社会の「ものさし」として機能します。つまり、公正な社会とは、これらの一次的善が公正に配分されている社会である、とロールズは考えるのです。では、具体的にロールズはどのようなものを「一次的善」としてリストアップしたのでしょうか？
ロールズが挙げた一次的善のリスト
ロールズは、主に以下の5つのカテゴリーを一次的善として挙げました。これらは社会的な背景によって影響を受ける「社会的一次的な善」と、個人が生まれ持った能力などの「自然的第一次的な善」（健康や知性など）に分けられますが、正義論で主に焦点が当てられるのは、社会制度を通じて配分可能な社会的一次的な善です。
1. 基本的自由（Basic Liberties）
これは、思想の自由、良心の自由、結社の自由、身体の自由など、市民としての基本的な権利や自由を指します。
- なぜ重要か？ どんな人生計画を立てるにしても、自分が何を信じ、誰と交流し、どのように生きるかを自分で決める自由は不可欠です。これらの自由が保障されていなければ、そもそも多様な価値観に基づく人生を送ることができません。
- 授業でのヒント:
- 学校生活の中で、「これは基本的な自由として保障されるべきか？」と考えてみましょう。（例：服装の自由、部活動を選ぶ自由、自分の意見を発表する自由）
- 憲法で保障されている基本的な人権とロールズの「基本的自由」を比べてみましょう。
2. 移動と職業の機会の自由、多様な機会に対する権利と自由（Freedom of Movement and Free Choice of Occupation; Rights and Liberties with Respect to Diverse Opportunities）
これは、自分が住む場所を選んだり、希望する職業に就いたりする自由、そして様々な社会的な機会（教育、仕事など）にアクセスできる権利や自由を指します。
- なぜ重要か？ 自分の能力や関心に基づいて、社会の中でどのような役割を担うかを選択できることは、自己実現やより良い人生を追求する上で不可欠です。「公正な機会均等」の原理とも深く関連します。
- 授業でのヒント:
- 生まれ育った環境によって、選べる学校や職業に差が出てしまうのはなぜ問題なのでしょうか？ 「機会の平等」について話し合ってみましょう。
3. 公職と社会的地位に伴う権力と特権（Powers and Prerogatives of Offices and Positions of Authority and Responsibility）
これは、社会の中で影響力を持つ立場（政治家、企業のリーダー、学校の先生など）に就くことで得られる権限や、それに関連する特権を指します。
- なぜ重要か？ 公的な役割を担う機会が特定の人々に限定されている社会は、公正とは言えません。全ての市民が、能力と意欲に基づいて公職や社会的に重要な地位に就く機会を持つべきだとロールズは考えます。
- 授業でのヒント:
- クラスの係や委員会活動、生徒会活動で、誰がどのような役割を担うべきか、公正な決め方について話し合ってみましょう。
4. 所得と富（Income and Wealth）
これは、お金や財産のことです。
- なぜ重要か？ 所得や富は、私たちが人生計画を実行するために必要な様々なもの（教育を受ける、医療にかかる、住居を持つ、趣味を楽しむなど）を手に入れるための普遍的な手段です。これらが全くない状態では、どんな人生目標も達成は困難です。ただし、ロールズはお金持ちになること自体を「善」とするのではなく、あくまで人生の可能性を広げるための「手段」として捉えます。
- 授業でのヒント:
- お金がたくさんあれば、どんな人生計画でも実現できるでしょうか？ お金では買えない「善」は何でしょうか？
- 税金や社会保障制度は、所得や富の「公正な配分」とどう関係するでしょうか？ 格差原理とも結びつけて考えてみましょう。
5. 自尊心の社会的な基盤（Social Bases of Self-Respect）
これは、個人が自分自身の価値を認められ、自分の人生計画を追求する自信を持てるように、社会制度が提供すべき基盤のことです。
- なぜ重要か？ ロールズは、これが最も重要な一次的善の一つであると考えました。たとえ他の一次的善（自由、機会、所得など）が十分に与えられても、自分が社会の一員として価値ある存在だと感じられなければ、それらを有効に活用する意欲を持つことは難しいからです。社会制度が特定の集団を差別したり、個人の努力を認めなかったりすると、人々の自尊心は傷つけられます。
- 授業でのヒント:
- 「自尊心」は個人的な感情のように思えますが、なぜ「社会的な基盤」が重要なのでしょうか？ クラスの中で、お互いの自尊心を高め合うためにはどのようなことができるでしょうか？
- 社会の仕組みや制度が、人々の自尊心を損なう例はあるでしょうか？ 差別やいじめ問題と関連付けて考えてみましょう。
なぜ「一次的善」が公正な社会の基準なのか？
ロールズは、公正な社会のルール（正義の原理）を考えるための思考実験として「無知のヴェール」と「原初状態」を設定しました。この仮想的な状況で、人々は自分が社会のどこに位置するか（性別、人種、能力、経済状況、さらにはどんな人生計画を持っているか）を知りません。
このような「無知のヴェール」の背後にいる理性的な人々は、自分たちがどんな立場になっても、どんな人生計画を選んでも、最低限の基盤が保障されていることを望むはずです。その「最低限の基盤」こそが、あらゆる人生計画にとって必要な「一次的善」なのです。
したがって、無知のヴェールの下で選ばれるであろう公正な社会のルールは、これらの一次的善を公正に配分することを目指すことになります。ロールズの正義の二原理、特に格差原理は、「最も不利な立場にある人々」（一次的善を最も少なく持っている人々）の一次的善を最大化することを目指す原理として位置づけられています。
まとめ：授業での活かし方
ロールズの「一次的善」という考え方は、「良い」生き方は多様であっても、その土台となる普遍的な「必要条件」が存在するという洞察を与えてくれます。この概念を理解することで、生徒たちは単なる「欲しいもの」の平等ではなく、人生を設計し追求するための基本的な「力」や「手段」の平等について深く考えることができるでしょう。
- 生徒への問いかけ:
- 「あなたの周りの社会で、これらの『一次的善』はどのように配分されていると思いますか？」
- 「『所得と富』の格差は、他の『一次的善』、例えば『機会』や『自尊心の基盤』にどのように影響するでしょうか？」
- 「もしあなたが社会のルールを決めるとして、『一次的善』の中で何を最も重視しますか？ その理由は？」
これらの問いを通して、生徒たちは自分たちの社会が本当に公正であるかを、具体的な「ものさし」を使って評価する視点を養うことができるはずです。ロールズの一次的善のリストは、抽象的な正義論を、生徒たちの身近な社会問題や将来設計と結びつけるための貴重な橋渡しとなるでしょう。