ロールズはなぜ「一番つらい人」を気にするのか? 『正義論』における最も不利な立場
ロールズが注目する「最も不利な立場の人々」とは?
公正な社会とはどのような社会でしょうか。社会にはさまざまな人がいて、それぞれ異なる状況や能力を持っています。私たちが社会のルールを決めたり、資源を分配したりする際に、誰の状況を特に気にするべきなのでしょうか。全員を同じように扱うことだけが公正さでしょうか?
ジョン・ロールズの『正義論』では、「公正としての正義」という考え方を通して、公正な社会のあり方が示されています。その中で、ロールズが一貫して重要な基準とするのが、「最も不利な立場にある人々 (the least advantaged) 」の状況です。
なぜロールズは、社会全体や平均的な幸福ではなく、あえて「最も不利な立場にある人々」に注目するのでしょうか。この記事では、この「最も不利な立場にある人々」とは具体的に誰を指すのか、そして彼らに焦点を当てることの重要性について解説します。
「最も不利な立場の人々」はどのように定義されるのか
「最も不利な立場の人々」と聞くと、「貧しい人」「障害のある人」「社会的弱者」といったイメージを持つかもしれません。これらは含まれる可能性が高いですが、ロールズの定義はもう少し厳密です。
ロールズは、「最も不利な立場にある人々」を、社会が公正に分配すべき基本的な「善」(彼が「一次的善 (primary goods) 」と呼ぶもの)を最も少量しか持たない人々として定義します。
「一次的善」には、大きく分けて以下のものがあります。
- 基本的自由: 思想・良心の自由、言論の自由、集会の自由、政治参加の自由など。
- 移動と職業選択の自由: 自由に場所を移動し、職業を選べる自由。
- 権力と地位に伴う権限と特権: 責任ある地位に就き、それに応じた権限や機会を得られること。
- 所得と富: 生活や目標達成に必要な経済的資源。
- 自己尊敬の社会的基盤: 自分自身の価値を認め、自信を持って生きられるための社会的条件。
これらの一次的善は、人がどのような人生目標を持っていようとも、それを追求するために合理的に必要とされる普遍的なものです。
「最も不利な立場にある人々」とは、これらの一次的善のリストにおいて、最も少ない分け前しか受け取れない人々を指します。これは、単に特定の集団を指すのではなく、社会の経済的・社会的な状況に応じて、相対的に決定される立場です。例えば、ある社会では、生まれつきの能力や社会的身分、あるいは不運な境遇によって、他の人々よりもはるかに少ない所得や自己尊敬の社会的基盤しか得られない人々が、「最も不利な立場にある人々」とされるかもしれません。
なぜ「最も不利な立場」に焦点を当てる必要があるのか?
ロールズが「最も不利な立場にある人々」の状況にこれほどまで注目するのは、彼の考える「公正としての正義」の根本にある考え方と深く結びついています。
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「無知のヴェール」と「原初状態」の思考実験: ロールズは、公正な社会のルールを考えるための思考実験として、人々が自分の社会的地位、才能、財産、さらには自分の価値観すら知らない「無知のヴェール」の背後にある「原初状態」を考えます。この状態では、人々は自分が社会に出たときに、高い地位に就くかもしれないし、あるいは「最も不利な立場」に置かれるかもしれない、と合理的に考えます。 もし自分が「最も不利な立場」になったとしたら、その状況は耐えうるものだろうか? 人々は、自分自身が最も不利な立場になった場合のリスクを最小限に抑えようと、最も不利な人々の状況を最大限に改善するようなルール(格差原理)を選ぶとロールズは論じます。彼らに焦点を当てるのは、この思考実験から導かれる合理的な帰結なのです。
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格差原理の適用: ロールズの正義の第二原理の一部である格差原理は、「社会的・経済的な不平等は、最も不利な立場にある人々の状況を最も改善する場合にのみ許される」と述べます。つまり、社会に格差が存在することを完全に否定はしませんが、その格差が正当化されるためには、最も不利な立場にある人々の利益になることが不可欠な条件となるのです。彼らに焦点を当てることは、格差原理を具体的に適用し、社会の不平等を評価するための出発点となります。
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機会の平等だけでは不十分: 社会が公正であるためには、機会の平等が重要であることは多くの人が認めるところです。しかし、ロールズは、単に「スタートラインを同じにする」だけでは不十分だと考えます。生まれつきの才能や、育った家庭環境といった、本人の努力ではどうにもならない偶然の要素が、人生の結果に大きな影響を与えてしまうからです。 「最も不利な立場にある人々」に焦点を当てることは、こうした偶然による不利益を是正し、誰もが人間らしい生活を送り、自己尊敬を保てるような社会の「最小保障」を確保することにつながります。
授業での活用ヒント:生徒への問いかけ
- もしあなたが「無知のヴェール」の向こう側にいるとして、社会に出たときに自分が「最も不利な立場」になる可能性も考えなければならないとしたら、どのような社会ルールを選びたいと思いますか?
- あなたの身の回りのこと(学校の仕組み、アルバイトの賃金、地域社会のサービスなど)について、「最も不利な立場にある人々」に焦点を当てて考えた場合、どのような改善が必要だと思われますか?
- ある政策(例:生活保護、障害者福祉、奨学金制度など)は、「最も不利な立場にある人々」の状況を改善していると言えるでしょうか。ロールズの格差原理の考え方を使って評価してみましょう。
- 「最も不利な立場にある人々」に焦点を当てる考え方には、どのような良い点と難しい点があるでしょうか。話し合ってみましょう。
これらの問いかけは、生徒がロールズの考え方を自分自身の問題として捉え、具体的な社会問題と結びつけて考えるきっかけになるはずです。
まとめ
ジョン・ロールズが『正義論』で「最も不利な立場にある人々」に焦点を当てるのは、単なる同情や慈善からではありません。それは、無知のヴェールの思考実験から導かれる合理的な公正さの基準であり、社会に存在する不平等を評価し、格差原理を適用するための重要な視点です。
「最も不利な立場にある人々」の状況を改善しようと努力することは、社会全体の公正さのレベルを引き上げることにつながります。彼らの状況が良くなるような社会は、多くの人々にとって、より安心して暮らせる社会でもあるからです。
授業で『正義論』を扱う際には、この「最も不利な立場にある人々」という概念に光を当てることで、生徒がロールズの哲学の意図や、それが現代社会にどのような意味を持つのかを深く理解できるようになるでしょう。