無知のヴェールとは? 公正な社会ルールを考えるロールズの思考実験
公正な社会ルールを考える難しさ
もしあなたが社会のルール、例えば法律や税金の制度、教育の仕組みなどをゼロから決めるとしたら、どのようなルールを選びますか?
誰もが自分にとって有利なルールを選びたいと思うでしょう。例えば、自分が豊かな家庭に生まれたなら、税金は少ない方が良いと思うかもしれません。貧しい家庭に生まれたなら、社会保障が手厚い方が良いと思うかもしれません。才能があるなら、競争が自由な方が良いと思うかもしれません。身体に障がいがあるなら、バリアフリーが進んでいる方が良いと思うかもしれません。
このように、私たちはそれぞれの立場や境遇によって、社会に対する「こうなってほしい」という願いや、公正だと感じる基準が異なります。自分の立場が分かっていると、どうしても自分にとって有利なルールを選んでしまいがちになり、本当に誰にとっても公平で公正なルールを決めることが難しくなります。
哲学者ジョン・ロールズは、『正義論』の中で、この問題を解決するためのユニークな思考実験を提案しました。それが「無知のヴェール(veil of ignorance)」です。
無知のヴェールとは? 原初状態という思考実験
ロールズは、私たちが公正な社会のルールを考えるためには、一度自分の「立場」を忘れてみる必要があると考えました。そのために考え出されたのが、「原初状態(original position)」という仮想的な状況です。
原初状態では、ルールを決める人々が「無知のヴェール」という分厚いカーテンの向こうにいると想像します。このヴェールの後ろにいる私たちは、自分自身について次のような特定の情報を持っていません。
- 自分が男か女か
- 肌の色や人種は何か
- 親が金持ちか貧乏か、社会的地位が高いか低いか
- 自分が才能に恵まれているか、特別な能力があるか
- 自分が健康か、病気や障がいを抱えているか
- 自分がどのような価値観や人生計画を持っているか
- 自分がどの世代に生まれるか
つまり、無知のヴェールの向こうにいる私たちは、自分が社会のどの「位置」につくことになるのかを全く知らないのです。自分が社会の中で最も恵まれない立場になるかもしれないし、最も恵まれた立場になるかもしれない。それは全く分かりません。
しかし、無知のヴェールの向こうでも、私たちは社会の一般的な知識は持っているとされます。例えば、人間には様々な欲求があること、社会には資源の限りがあること、経済学や心理学の基本的な法則などは理解していると考えられます。
この「無知のヴェール」に覆われた「原初状態」に置かれた人々は、自分が将来どのような立場になるか分からないからこそ、誰かの特定の利益になるような不公平なルールを選ぶリスクを避けると考えられます。自分が社会の中で最も不利な立場になった場合でも、そのルールのもとで最低限の生活や自由が保障されるようにと考え、ルールを選ぶだろうとロールズは考えたのです。
なぜ「無知のヴェール」で公正さが生まれるのか?
無知のヴェールのポイントは、自分自身の特定の状況に関する知識を遮断することで、ルールを選ぶ際に個人的な偏見や利害を排除できる点にあります。
例えるなら、ホールケーキを切り分ける時に、自分がどの一切れを取るか分からないとしたら、どう切るのが最も公平でしょうか?おそらく、できるだけ均等に分けるでしょう。なぜなら、自分が一番小さな一切れになってしまうリスクを避けたいからです。
無知のヴェールもこれと同じような考え方です。自分が将来どのような状況になるか分からないからこそ、特定の人々だけが特別に有利になるようなルールではなく、どのような立場の人にとっても受け入れられる、公正なルールを選ぼうとするだろう、とロールズは主張します。
この原初状態における無知のヴェールの下で人々が同意すると考えられるルールこそが、「公正としての正義」に適う社会の基本原理である、とロールズは考えたのです。
授業での問いかけ・議論のヒント
- もしあなたが無知のヴェールの後ろにいるとしたら、どのような社会のルールを選びますか? 具体的なルール(例:税金、教育、医療など)を考えてみましょう。
- ロールズは、無知のヴェールの下では人々は自分が最も不利な立場になった場合を考えてルールを選ぶ(マキシミン・ルール)と考えましたが、本当にそうでしょうか? もっとリスクを取って大きな利益を目指す人もいるかもしれませんか?
- 無知のヴェールの思考実験には、どのような課題や限界があると思いますか? (例:現実離れしすぎている、人間の合理性を仮定しすぎている、など)
- 学校のルール(校則、クラスの役割分担など)を決める際に、この「無知のヴェール」の考え方を応用することはできますか? どのように応用できるでしょうか?
この「無知のヴェール」という思考実験は、私たちが普段どうしても囚われてしまう自分の立場や物の見方から離れて、より普遍的な視点から社会の公正さを考えるための強力なツールとなります。ぜひ、生徒の皆さんと一緒に、ヴェールの向こう側から見える社会について想像を巡らせてみてください。