格差はどこまで許される？ ロールズの格差原理を考える
社会の格差、どこまで許される？
私たちの社会には、様々な格差が存在します。収入の差、職業による差、住んでいる地域による差、受けられる教育の質の差などです。これらの格差を見て、「これは公平なのだろうか？」と感じたことはありませんか？
全ての格差が悪だ、と考える人もいるかもしれません。しかし、もし格差を一切なくしてしまったら、社会はうまく機能するのでしょうか。例えば、医師のように専門的な訓練が必要な仕事と、誰でもすぐにできる仕事の報酬が全く同じだったら、大変な努力をして医師になろうと思う人がいなくなってしまうかもしれません。
一方で、あまりにも大きな格差は、社会の安定を損ない、不公正だと感じられるでしょう。では、公正な社会において、格差はどこまで、どのような条件の下で許されるのでしょうか。
ジョン・ロールズは、彼の主著『正義論』の中で、この格差の問題について深く考察しました。そこで提示されたのが、彼の「正義の二原理」のうち、特に第二原理に関わる「格差原理（Difference Principle）」です。
この記事では、ロールズが考えた「格差原理」とはどのようなものか、そしてそれを授業でどのように生徒に説明すればよいか、具体的な例を交えながら解説します。
ロールズの正義の二原理と格差原理
ロールズは、公正な社会の基本的なルール（「正義の原理」）は、もし私たちが自分の立場（性別、能力、家柄、富など）を知らない「無知のヴェール」の仮説状況（「原初状態」）で選ぶとしたら、どのような原理を選ぶだろうか、という思考実験によって導き出せると考えました。
そうして導かれたのが、以下の正義の二原理です。
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平等な基本的自由の原理: 全ての人が、他人と同じような基本的自由（思想・良心の自由、言論・集会の自由、身体の自由など）に対して平等な権利を持つ。
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社会的・経済的不平等の調整原理: 社会的・経済的な不平等は、以下の二つの条件を満たす場合にのみ許される。 (a) 機会の公正な平等: 不平等をもたらすような職務や地位は、全ての人に機会の公正な平等が保たれた形で開かれていなければならない。 (b) 格差原理: それらの不平等が、社会の中で最も恵まれない人々の状況を最大限に改善するようなものでなければならない。
ここで、(b)の「格差原理」が、私たちが今回注目するポイントです。ロールズは、社会的・経済的な不平等は、それが結果として社会の最も立場の弱い人々にとって一番有利になる場合に限り、正当化されると考えたのです。
格差原理を具体的に考える：授業での例示
格差原理は、少し分かりにくい概念かもしれません。授業で生徒に説明する際には、具体的な例を挙げるのが効果的です。
例1：所得の格差
- ある社会で、医師は清掃員よりもはるかに高い給料を得ています。これは格差です。
- 格差原理は、この格差が社会の最も恵まれない人々（例えば、貧困層、失業者、障害を持つ人々など）の状況を改善するのであれば、許されると考えます。
- どういうことでしょうか？ 医師の高い給料が、優秀な人材を医師という仕事に引きつけ、その結果、社会全体の医療サービスの質が高まり、最も恵まれない人々も含め皆が質の高い医療を受けられるようになる、という状況を考えてみましょう。また、医師の高い所得から支払われる税金が、福祉制度の充実に使われ、最も恵まれない人々への生活保障や医療費補助に役立つ、という側面もあるかもしれません。
- もし医師と清掃員の給料が同じだったら、誰も大変な勉強や訓練をして医師になろうとしないかもしれません。その結果、社会全体の医療サービスの質が低下し、最も恵まれない人々を含む皆が困ることになるかもしれません。
- このように、医師の高い給料という「格差」が、結果として社会全体の富を増やし、その富が分配されることで、最も恵まれない人々の状況を改善する「インセンティブ（誘因）」として機能する場合、その格差は格差原理の下で許容される可能性がある、とロールズは考えたのです。
例2：才能や努力の違い
- 生まれ持った才能や、本人の努力によって、より多くの富を得たり、社会的な地位を得たりする人がいます。これも格差の原因となります。
- ロールズは、これらの才能や努力も、広い意味で「天賦の才能」や「社会環境」といった、本人の功績だけでは説明できない偶然の要素に影響されると考えました。そのため、才能や努力によって得られた富や機会の全てを、その人が独占するのは必ずしも公正ではない、と考えます。
- 格差原理は、こうした偶然によって生じた格差も、それが最も恵まれない人々の利益に繋がる形で利用されるべきだ、と示唆します。つまり、才能ある人がその能力を社会のために最大限に発揮し、それによって生み出された富が、最も支援が必要な人々に再分配されるような社会制度が望ましい、という考え方です。
なぜ「最も恵まれない人々」なのか？
ロールズが、不平等を判断する基準として「最も恵まれない人々」に注目したのはなぜでしょうか。これは、彼が「無知のヴェール」をかぶった原初状態で、人々は自分が社会のどの位置に置かれるか分からない、と考えたことと関連しています。
自分が社会で一番不利な立場になる可能性も考慮すると、最も不利な状況でも耐えられる、あるいはそこから抜け出せるような社会システムを選ぼうとするのではないか。ロールズは、人々は最も起こりうる最悪の結果を避けるように合理的に行動する（マキシミン・ルールを採用する）と考え、その結果として「最も恵まれない人々の状況を最大化する」という原理を選ぶだろうと推論したのです。
授業での問いかけのヒント
生徒に格差原理について考えさせるために、以下のような問いかけをしてみましょう。
- あなたの考える「最も恵まれない人々」とは、具体的にどのような人々のことでしょうか？
- あなたの周りにある格差（学校内での成績の差、家庭環境の差など）の中で、「これは仕方ない」「許される」と思える格差はありますか？ それはなぜですか？
- 逆に、「これは不公正だ」「許されない」と思う格差はありますか？ それはなぜですか？
- もしあなたが、将来、どんな仕事に就くか、どんな家庭に生まれるか全く分からないとしたら、どのような社会のルールを選びたいですか？ ロールズの格差原理のようなルールを選びますか？
- 「頑張った人が報われるのは当然だ」という考え方と、格差原理はどのように折り合いをつけることができるでしょうか？
これらの問いを通じて、生徒は社会の仕組みや分配の正義について、自分自身の考えを深めることができるでしょう。
まとめ
ロールズの格差原理は、「全ての格差が悪」なのではなく、「最も恵まれない人々の利益になる限りにおいて、格差は許される」という考え方を示しています。これは、単なる結果の平等を求めるのではなく、社会全体の利益、特に立場の弱い人々の利益を最大化するという視点から、不平等をどのように捉え、どのように社会を設計すべきかについての重要な示唆を与えてくれます。
現代社会における貧困、機会不平等、再分配政策などを考える上で、ロールズの格差原理は今なお私たちに多くのことを問いかけています。授業でこの概念を扱う際には、生徒にとって身近な問題と結びつけ、具体的に考える時間を持つことが、深い理解に繋がるでしょう。