高校生のためのロールズ

「最大多数の最大幸福」で良いのか? ロールズが功利主義を批判する理由

Tags: 正義論, ロールズ, 功利主義, 高校倫理, 高校政治経済, 社会契約論, 自由

社会のルールを決める際に「全体の幸福」を優先して良いか?

高校の倫理や政治経済の授業で、人々の幸福を社会の目標とする考え方として功利主義を扱うことがあるかと思います。「最大多数の最大幸福」という言葉は非常に有名で、社会全体の利益を増やそうという考え方は、一見すると最も合理的で、公正な社会を作るための基準になり得るようにも思えます。

しかし、哲学者ジョン・ロールズは、この功利主義には深刻な問題があると指摘し、功利主義とは全く異なる原理に基づく『正義論』を構築しました。なぜロールズは、多くの人々が魅力を感じる「最大多数の最大幸福」という考え方を批判したのでしょうか。

この記事では、ロールズが功利主義のどこに問題を見出し、それがどのように彼の『正義論』へと繋がっていくのかを、高校生の皆さんにも分かりやすいように具体例を交えて解説します。授業で功利主義やロールズを扱う際に、この対比の視点が生徒さんの理解を深める助けとなれば幸いです。

功利主義の魅力と、ロールズが問題視した「限界」

まず、功利主義の基本的な考え方を簡単に確認しましょう。功利主義は、ある行為や社会制度の正しさを、それが生み出す「効用(幸福や快楽、苦痛からの解放)」の量によって判断します。そして、社会全体の効用の合計(総効用)が最大になる状態が、最も望ましい社会の状態であると考えます。シンプルで分かりやすく、多くの政策決定の場面で参考にされる考え方です。

例えば、ある地域に新しい公共施設を建設するかどうかを考えるとき、功利主義なら、建設によって得られる多くの人々の利便性向上や経済効果(総効用が増える部分)と、建設地周辺の少数の住民が被る騒音や立ち退きの苦痛(総効用が減る部分)を比較し、差し引きで総効用が増えるなら建設すべきだと判断するかもしれません。

ロールズは、功利主義のこのような考え方には、特に「正義」という観点から見て受け入れがたい問題があると指摘しました。彼が特に問題視したのは以下の点です。

  1. 個人の権利や自由の軽視の可能性 功利主義は、あくまで全体の総効用を最大化しようとします。このとき、個々の人々の間に効用がどのように分配されるか、あるいは少数の人がどのような状況に置かれるかについては、直接的な関心を払いませ。全体の幸福が増えるのであれば、少数の人々の権利や自由が侵害されたり、彼らが大きな犠牲を強いられたりすることも正当化されてしまう危険性があります。

    • 具体例を考えてみましょう:
      • ある社会で、少数の人々に過酷な労働を課すことで、多数の人々が極めて豊かな生活を送れるとします。全体の幸福の総量は非常に大きくなるかもしれません。功利主義はこれを「良い状態」と判断する可能性があります。しかし、これは「公正」な社会と言えるでしょうか?
      • 特定の宗教や思想を持つ少数派の人々の表現の自由を制限することが、社会全体の安定や多数派の幸福に繋がると仮定します。功利主義の立場からは、全体の効用が増すなら容認されうるかもしれません。しかし、個人の基本的な自由が全体利益のために侵害されることは、許されるべきことでしょうか?

    ロールズは、このような状況を許容してしまう功利主義の考え方は、人間の尊厳個人の持つ不可侵の権利を十分に尊重していないと考えました。彼にとって、正義とは、何よりもまず個人の基本的な権利や自由が保障されている状態であるべきだったのです。

  2. 効用の測定と個人間の比較の困難さ 人によって「幸福」や「価値」と感じるものは異なります。お金で測れるものもあれば、友情や愛情、精神的な満足感など、数値化が難しいものもあります。これらの異なる種類の効用をどうやって測定し、人々の間で比較して合計するのでしょうか? これが技術的に非常に困難であるだけでなく、そもそも人々の異なる価値観や人生観を一つの尺度で測り、合計することの倫理的な問題も指摘されます。

ロールズの『正義論』はなぜ功利主義と違うのか

ロールズは、功利主義が抱えるこれらの問題を回避し、個人の基本的な権利と自由を確実に保障しつつ、公正な社会的な協力の枠組みを作るための正義の原理を模索しました。そこで彼が用いたのが、有名な「原初状態(げんしょじょうたい)」「無知のヴェール」という思考実験です。

ロールズは、このような「公正な手続き」から導き出される原理こそが、真に公正な正義の原理であると考えました。そして、原初状態の人々は、自分が社会でどのような立場になるか分からないからこそ、特定の立場に有利なルール(例えば、自分が多数派なら少数派を犠牲にしても良いというルール)を選ぶのではなく、最も不遇な立場になった場合でも最低限の生活や自由が保障されるルールを選ぶだろうと考えました。

この思考実験から導き出されたのが、彼の「正義の二原理」です。

この正義の二原理は、功利主義と根本的に異なります。

まず、第一原理は第二原理に優先します。これは、基本的な自由は、社会全体の経済的利益や効用のために犠牲にされてはならないということを意味します。功利主義が全体の幸福のために個人の自由を制限する可能性があったのに対し、ロールズは自由を絶対的なものとして優先させたのです。

次に、第二原理、特に格差原理は、社会的な不平等や経済的な分配を考える際に、全体の総量だけでなく、最も立場の弱い人々にどう配分されるかを重視します。全体のパイが大きくなるだけでは不十分で、その大きくなったパイの恩恵が、最も困っている人々にどれだけ行き渡るか、という分配の正義に焦点を当てています。これは、全体の効用だけを見て分配を問わない功利主義とは決定的に異なる点です。

授業での問いかけや議論のヒント

生徒さんに功利主義とロールズの考え方を比較させることは、正義や社会のあり方について深く考える良い機会になります。以下のような問いかけが考えられます。

まとめ

ジョン・ロールズが功利主義を批判したのは、功利主義が個人の基本的な権利と自由、そして分配の公正さを十分に保障できないと考えたからです。彼は、全体の幸福を最大化することよりも、個人の不可侵の権利を保護すること、そして最も不遇な人々の状況を改善することこそが、公正な社会の基盤であると考えました。

『正義論』は、功利主義という当時の主流な考え方に対する強力な対案として提示されました。この二つの思想を比較することで、正義には多様な考え方があること、そして私たちは社会のルールを考える際に、何を最も大切なものとして優先すべきか、深く考えることができるでしょう。

授業で『正義論』を扱う際には、ぜひ功利主義との対比という視点を取り入れてみてください。生徒さんたちが、複雑な現代社会の課題を「正義」という切り口から考察する手助けとなるはずです。